繋がりと責任の話(思いつき日記)

繋がりと責任の話

今、「事故米」が大きな波紋を呼んでますね。

三笠フーズの「事故米」転売の影響で、多くの企業が商品の回収に追い込まれ、被害を受けています。

いつのまにか事態は厚生省にまで飛び火してしまい、目先の利益に目がくらんだことが原因で大きな波紋に発展。

「酒造メーカー」から始まって「病院の食事」など、一つの歯車が狂うといろいろなものに被害が及びます。

こういう事件が起こると私たちは普段気にかけないものでも、様々なモノに関連し、影響しあっているということを改めて認識させられます。

これは商売だけではなく、私たちも同じ。
望まずとも色んなものと繋がっています。

私は若い頃、そういった「繋がり」が嫌になり、自分ひとりになりたいと旅に出たことがあります。 (若いって無謀ですよねぇ。。。笑)

ですが、そういう場所ってなかなかないんです。
どこも「人の匂い」がして、かといって人里はなれた場所に行く勇気もありませんでしたし。。

そんなとき、道に迷ってしまいとんでもない所に出てしまいました。
人の気配は全く無しで、様々な音はするのに、それが返って静寂さを演出するような場所でした。

そのときは恐かったというよりも、妙に納得させられました。
何に納得したかというと、誰もいない場所でも心の中ではいつも誰かのことを考えてしまうということ。

孤独の中でも、誰かのことを恋しんだり、憎んだり、自分の心の中には好きな人も嫌いな人も大勢の人がいて、どこへ行こうと結局、誰かとの繋がりを完全に絶ってしまうことなんて出来ないということ。

自分の意志、行動次第で良い繋がりを築いてゆけるものの、それを完全に絶つことは出来ない不自由さ。 もしかしたら、自由に伴う不自由さを責任と呼ぶのかもしれませんね。

誰かが言っていた言葉を思い出しました。
「この世で最も重い言葉は責任。」

社長の責任、平社員の責任、親の責任、子供の責任、選ぶ責任、選ばれる責任、そして生きていることの責任

どんなものにも”責任”は発生して、影響力が強ければ強いほどそれに伴う責任も同時に重くなる。

どんな人生を選んでもいいんだけど、その代わり、雲を型に入れるように責任は憑いて回る。

きっとその責任を放り出した時点で、歯車も狂っちゃうんでしょうね。

やっぱ、責任って重いなぁ…
などとまたまた理屈っぽいことを考えてしまう今日この頃。


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